ココロのオオウラ

ADHDとメンタル、障害者雇用の話

「メンタルが強い人」は実在するのか?

メンタルが強い人は「比べない」「期待しない」「批判しない」、みたいなツイートがバズっているらしい。メンタルが強い人は人に執着しない、メンタルが弱い人はその逆、そのことを自覚せよ、という趣旨のようだ。
 
今回に限らず、元々フォロワーが多いアカウントや、フォロワーの数が生命線である副業系のアカウントで、「メンタル」をネタにしたツイートは散見される。まあ、このご時世だし、表面上は誰も傷つけずおさまりがいいから、こういったツイートが支持されるのはわかる。本業でメンタルを壊したことが副業を始めるきっかけになったという人も、結構な数、いそうだし。
 
が、あえて言わせてもらおう。こういうツイート、個人的には苦手だ。なぜ苦手なのかしばらく言語化できなかったのだが、少しわかってきたので、つらつら書いてみることにした。
 

メンタルの強さ=切れるカードの枚数

 
私はとても疑問なのだが、人生において執着の対象が皆無である、という人間など果たして存在するのだろうか?もし存在するとしたらそれはブッダか、死人くらいではないだろうか?
 
メンタルが強い人は人に執着しない、とのことだが、気に入らない相手が目の前にいたとして、その人に対して「執着しない」という選択ができているに過ぎない。例えば、上司が自分の仕事を一向に評価してくれないけれども、「それでもいいや」と思える人は、温かい家庭があったり、励みになる趣味があったりするからこそ、その選択ができるのである。つまり、人に執着するかどうかというよりは、切れるカードの枚数の問題で、「依存先はたくさん作ろう。1つだけになるとやばいぞ」という話なのではないか。
 

メンタルの評価は減点法

 
「メンタルの強さ」という尺度は、当該ツイートのような加点法ではなく、減点法で評価されるものだと思う。例えば、ADHDを持っていると二次障害としてうつ病になるリスクがとても高くなる。私は孤独に強い方だし、人に意見も言える方だが、それでもADHDのせいで社会とのギャップに対応せざるを得なくなって病みがちだし、公務員時代は仕事が合わなかったことが致命傷になり、うつ病寸前まで症状が進んだ。つまり、「ADHD」と「職場が合わない」というリスクのせいでメンタルが弱り、うつ状態に至ったのである。新型コロナウイルスの感染が拡大してうつ病患者が増えたのも、「家から出る頻度が少ない」とか、「お金がない」といったリスクを背負う人が増えたのが原因だろう。「メンタルが強い人」の定義など実は存在しなくて、この世に存在するのは「メンタルが弱る理由」だけなのではないか、というのが私の意見だ。
 

「メンタル」という名のブラックボックス

 
メンタルが弱る理由など、この世の中にはいくらでも転がっている。だから病んでしまったとしても、その事実を認識し、適切に休みを取ることで対処できればそれで問題ないと思う。嫌だなあと思うのが、メンタルが弱ることを自己責任ととらえる風潮が強まっているような気がすることだ。今のインターネット、特にツイッター界隈では、「メンタルが強い人」「自分の機嫌を自分で取れる人」であることが人間であることの最低条件であるがごとく、言葉が紡がれている気がしてならない。「メンタル」は、バラ色の人生のフリーパスではないのだ。どうか、「メンタル」という言葉を便利なブラックボックスに仕立て上げないでほしいと、ひそかに思っている。